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又兵衛桜は、桜の名所としてその名に恥じない存在だった!

 

大阪夏の陣で最期を遂げた武将・後藤又兵衛の名を冠する枝垂桜

 

毎年4月が近づくと、各地の桜の開花予想が一斉に始まります。
今日は、そのについてのお話を。

奈良県は宇陀市、大宇陀本郷の小高い石垣の上に、樹齢推定300年と言われる枝垂桜(しだれざくら)が立っています。

樹高約13m、幹回りは3mを超えるみごとな枝垂桜(しだれ桜)です。

この桜は、福島県田村郡三春町の「東の横綱」(樹齢推定1,000年の紅枝垂桜)に対して、「西の横綱」と呼ばれています。

本郷の瀧桜(たきざくら)とも呼ばれるこの桜、実は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した豊臣氏の家臣、後藤 基次(ごとう もとつぐ)、通称・又兵衛(またべえ)として知られる武将・後藤又兵衛ゆかりの桜である事から「又兵衛桜」と呼ばれています。

後藤又兵衛と言えば、まだまだ記憶に新しいNHK大河ドラマ「真田丸」の中で哀川翔さんが演じ、大阪の陣で壮絶な死を遂げた武将。

はて、ではなぜのその武将の名前がこの枝垂桜(しだれ桜)に?

というわけで、今回は

「又兵衛桜は、桜の名所としてその名に恥じない存在だった!」

をお届けします!


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大阪五人衆のひとり、後藤又兵衛

関ヶ原の戦いで武将としての頭角を現した後藤又兵衛は、紆余曲折を経て、徳川家康の大阪入りが現実味を帯びた1614年、大阪城で家康に対抗の意志を見せる豊臣秀頼の家臣からの呼びかけに応じ、大阪城に入ります。

危機感を抱いた家康から、「播磨の国をやるから、徳川に付け。」という誘いを受けた後藤又兵衛は、

「豊臣からの恩を忘れ徳川に付くなど、武士道に反すること」

とこれを一蹴したという逸話が残っています。

そんな後藤又兵衛、最後には、大阪夏の陣“道明寺誉田の戦い”で、伊達政宗の家臣・片倉重長率いる鉄砲隊に胸を撃ち抜かれ、壮絶な最期を遂げたと伝えられているわけですが…。

又兵衛は生きていた!?

大阪夏の陣で壮絶な最期を遂げたはずの後藤又兵衛、実はその後「道後温泉に姿を現し、そこで首をとられた」という説や、「薩摩に落ち延びた」という説など、諸説あるようなのです。

真田幸村の最後についても、「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ」と歌に詠まれるように、鹿児島に落ち延びたという説もあるんですよね。)

そういった後藤又兵衛についての諸説の中のひとつに、「宇陀に落ち延び、そこで僧侶となり一生を終えた」という説があるのですね。

この枝垂桜(しだれ桜)が残る場所も、後藤家の屋敷跡であることから、「又兵衛桜」と呼ばれるようになったんだとか。

かなり以前から一部の写真家の間ではその存在が知られていたそうですが、2000年放送のNHK大河ドラマ「葵~徳川三代」のオープニング映像で使われたことから一躍有名になり、見ごろである4月上旬から中旬頃には5万人を超える花見客が訪れるようになりました。

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兵どもが夢の跡・・・

松尾芭蕉の俳句に、

「夏草や兵どもが夢の跡」

という有名な一句がありますが、管理人が「又兵衛桜」のことを知った時にふと思い出したものです。

樹齢300年を超える見事な「又兵衛桜」を見るにつけ、武将としてその波乱万丈の一生を駆け抜けた後藤又兵衛も、その晩年には、この桜を眺めながら静かな時間を過ごしていたと願いたいと思うのは、きっと管理人だけではないのではないでしょうか?

というわけで、今回は

「後藤又兵衛の桜は、桜の名所としてその名に恥じない存在だった」

をお届けしました。

それでは、au revoir!

「又兵衛桜」の情報はこちらからどうぞ
宇陀市観光サイト


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