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3月5日は、チキンラーメンの生みの親「安藤百福の日」

2017/03/02

“魔法のラーメン”は情熱から生まれた

 

夜食に、おやつに、休日の昼ご飯に・・・日頃、いろんな場面で食べるカップ麺。

スーパーやコンビニの棚には、どれにしようか迷ってしまうほどの種類があるし、いろんな味の新しい商品も次々に発売されています。

そんな、日本人の食生活にすっかり馴染んでいるインスタント麺を世界で最初に発明したのが安藤百福(あんどうももふく)さん です。

世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」や、世界初のカップめん「カップヌードル」などを発明して、“インスタントラーメンの父”と呼ばれています。

管理人もカップラーメンには学生時代から社会人まで通じて大変お世話になっていて、今でも無性に食べたくなる時があります。

手頃な値段で、しかもたった3分で食べられるチキンラーメン

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卵や増えるわかめ、乾燥ネギなんかを乗せて食べていたのは懐かしい思い出です。

最近では、休みの日の昼に、作るのも買いに出るのも面倒なときに、買い置きのカップ麺につい手が伸びる…といった程度でした。

そんなある日、安藤百福さんの生涯を紹介した子供向けの本(マンガ)でチキンラーメン誕生の秘話を知り、いたく感動したのです。

そこで、今回は

3月5日は、チキンラーメンの生みの親「安藤百福の日」

について書いてみました。


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実はものすごい起業家、そして社会事業家だった安藤百福さん

日本はもちろんのこと、世界中の食文化に革命を起こしたと言っても過言ではないチキンラーメン、そしてカップヌードルの生みの親・安藤百福さんの誕生日である3月5日が、「安藤百福の日」として日清食品ホールディングス株式会社によって制定されたのは、2010年(平成22年)。安藤百福さんの生誕百年の年でした。

この安藤百福さんという方、

「人間にとって一番大事なのは創造力であり、発明、発見こそが歴史を動かす」

という名言が示す通り、ものすごい情熱を持った発明家、起業家なんですね。

1910年(明治43年)に台湾に生まれた安藤百福さんは、その後日本に移り、22歳の時にはお父さんの遺産を元手に「東洋莫大小」(とうようメリヤスと読みます)という繊維商社を設立したのを皮切りに、その後、光学機器や精密機械の製造、飛行機エンジンの部品製造など、幅広く事業を展開していきます。

しかも、それと同時に立命館大学の夜間部で経済を学んでいたというのですから、そのバイタリティーたるや、ものすごいものがありますよね…。

ある時期、ご近所には藤田田さん(日本マクドナルドの創業者)が住んでいて、交流があったというのも不思議な感じがします。

第二次世界大戦の大阪空襲で、当時の事務所や工場をすべて失った安藤百福さんですが、終戦後すぐに百貨店経営で再出発をして、その後も職を失った復員兵や若者のために製塩事業まで起こしたり、病人用の栄養食の研究を始めたり、技術者の養成もしたり、と社会貢献の熱意もものすごい方なんです。

取り組んでいるのが、一貫して「日本が戦後の荒廃から立ち上がるための事業」という点が、まさしく社会事業家と呼ぶに相応しい姿勢ですよね。

<チキンラーメンの誕生>

「一杯のラーメンのために、人々はこんなにも努力するのか。」

そんな安藤百福さんが、戦後しばらくした頃に大阪・梅田駅で見かけた光景が、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明するきっかけとなります。

それは、敗戦後の廃墟のような街の中、寒空の下ラーメンの屋台に並ぶやせこけた人たちの長蛇の列でした。

当時、敗戦で食糧難となった日本では、栄養失調で行き倒れになる人が後を絶たないほどの状況だったといいます。

そうした光景を目の当たりにした安藤百福さんは、

「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない。」

と食の大切さを痛感。

と同時に、この長蛇の列に大きなビジネスチャンスが隠れていることも感じ取ったに違いありません。

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「どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない。」

安藤百福さんがチキンラーメンの発明に取り掛かる原動力ともなった二つの背景がありました。

そのひとつは、当時、戦勝国であるアメリカの余剰小麦粉を使った食事を日本政府が奨励していたこと。※1

もうひとつは、理事長を務めていた信用組合が破綻して、全ての財産を失ったこと。※2

※1…アメリカの余剰小麦粉を日本国内で消費するために、パン、畜産物、油脂類などの普及を意図した「栄養改善運動」や、日本では戦前まで少なかった油料理を普及させるために「フライパン運動」なるものが展開されました。
※2…残ったのは大阪池田市の借家だけだったそうです。

自宅の裏庭に立てた掘っ立て小屋で、安藤百福さんはたった一人で研究を続けます。

繰り返し試行錯誤する中で、

長期保存が効き、かつ、お湯を注ぐだけですぐ食べられる

ことを可能にしたのが、安藤夫人が台所で揚げる天ぷらからヒントを得て編み出した“瞬間油圧乾燥法”

この技術を駆使して生み出された、当時の常識では到底考えつかないような“魔法のラーメン”、チキンラーメンは、共働きや核家族が増加しつつあった日本の社会状況も手伝って空前の大ヒットとなります。

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「どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない。」

安藤百福さん自身の言葉にもある通り、世界初のインスタントラーメンであるチキンラーメンは、まさに時代が求めていたものだったわけですね。

「新しいものを創造する力が無ければ、企業は存続できません。」

安藤百福さんは、その後もアメリカ視察をきっかけに、「麺をカップに入れてフォークで食べる」ことを実現するために、発泡スチロール製の容器を独自に開発・改良し、そのカップの中ほどに麺を固定する“中間保持法”を発案して、1971年9月18日、ついに、あの「カップヌードル」を世に送り出します。

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1972年、連日テレビで報道された、連合赤軍によるあさま山荘事件の中継で、現場の機動隊員が「カップヌードル」を食べる様子が放送されました

ここでもまさに、「時代が求めていた」ものを安藤百福さんが提供していたことになりますよね。

「人生に遅すぎることはない。」

晩年、なんと91歳で宇宙食の開発に取り組むことを宣言。

2005年には宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載され、宇宙飛行士である野口聡一さんが人類で初めて宇宙空間でインスタントラーメンを食べたのです。

「クリエイティブな発想と最後まであきらめない姿勢」

記憶に新しいところでは、「今だ!バカ、やろう!」のセリフで、ビートたけしさんや矢口真里さん、小林幸子さんや新垣隆さんが出演した日清食品のCM「OBAKA's UNIVERSITY」シリーズの第1弾が多くの批判の声に晒され中止になりました。

「まず、人まねをしないこと。人のまねをせずに、時代の一歩先を読む。また細心に考えて、動くときは大胆に動く。」

「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い。」

安藤百福さんのそんな言葉を噛みしめながら、今後の日清食品グループに期待し、応援し、何よりもこうしてインスタントラーメンを世に送り出してくれた、安藤百福さんに心から感謝したいと思ったような次第です。

それでは、au revoir !

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